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7.23
長崎大水害のときの読売新聞に載っていた記事です。
もうこの世からは「ご恩」と言う言葉も活字も無くなったのかと思っているとき、この心温まる記事を読んで、未だ読んでおられない方に読んでもらおうとおもい、新聞社の許しを得て原文のまま載せました。
「旅先で見知らぬ方にあれほど親切なお世話をしていただいたのは初めて。“地獄で仏”とは正にあのことです。
長崎大水害の報道でざわつく社会部に26日夕方、鹿児島県肝属郡串良町岡崎3471、ショッピングセンター経営金田守さん(45)から感激の電話が入りました。話の内容は、長崎地方が集中豪雨に見舞われたあとの23日夜、前進を阻まれた金田さんから百数十人が、長崎県諌早市のかっぽう店で心のこもった世話を受けたというものです。
金田さんは、当日、長崎市で開かれた高校空手道大会に、鹿児島県代表として出場した長女環美さん(17)(串良商業高3年)に付き添って、長崎旅行をしました。大会が終わり、午後5時30分発の飛行機で帰ろうと、長崎空港まで行ったのですが、荒天のため同7時半に欠航と決まり、仕方なくバスで長崎まで引き返すことにしました。 ところが、途中の諫早市内の国道で集中豪雨に襲われ、進めなくなりました。慌てたバスの運転手さんは国鉄諫早駅前のバスターミナルに避難しようとしましたが、国鉄のガードレール下はみるみる水量が増し、水深2メートル。水に追われるように、高台を目指したのです。そのうち警報のサイレンが鳴り始め、スピーカーからは「高台に避難してください」と絶叫。金田さんらバスの乗客約70人はすざまじい雨脚におびえて、女性客のほとんどが放心状態だったそうです。
30分後の午後8時半、ようやくバスがたどり着いた高台には、1軒のかっぽう店がありました。電灯が消えて真っ暗でしたが、バスの音に気付いたのでしょう。中から一人の男性が出てきて、みんなを中に招き入れたのです。「何もありませんが、とりあえずこれを召し上がってください。きょうは広間に泊まっていただいても構いません。」 店の主人らしいこの男性は、ほぼ同時に避難してきた他の2台のバスの客、数十人におにぎりとタクワンを出し、その後も、おにぎりや飲み物、お茶を追加し、3台ある電話も提供したのです。この店には宿泊施設はなく、結婚式場の広間があるだけですが、ご主人はこの部屋に座布団を敷き詰め「ざこ寝をさせて申しわけありませんが、一晩辛抱してください。」 不安な一夜を明かした金田さんらが「こんなにお世話になったのですから・・・」とお礼をしようとすると、「とんでもありません。困ったときはお互いさまですから」と、一切受け取ろうとしなかったのです。 金田さんは「見知らぬ人のあんな温かいもてなしを受けたのは初めて。あの感動は言葉では言い尽くせません。一段楽したら娘とともに諫早までお礼に出向きます。」と話しています。
ところで、このかっぽう店は諫早市宇都町260、「魚荘」で、率先してお世話をしていたのは、ご主人の横尾晁宣(ともたか)さん(41)、利子さん(33)ご夫婦です。
「えっ、そんな電話が入りましたか。とにかくひどい雨で、狭いところですが泊まっていただきました。実は、25年前の諫早大水害のとき、低地にいた私のところも大きな被害を受けました。自衛隊の皆さんや、全国の皆さんから温かい救いの手を差しのべていただいた嬉しさが頭から離れないのです。あの日は、たまたま遠方の従業員3人を泊めていたため何かとお世話が出来ました。困ったときはお互い様です。お礼なんてとんでもありません」
せちがらい世の中で、耳にすることが少なくなった「お互いさま」という言葉の深みを改めて感じました。
恩をかえしてもらおうと思うな、こちらが恩返ししたのである。
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