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【 二十年前のお礼 】

 これは、私の友人橋本脩さんから聞いた話しですが、概略は長崎新聞の「声」に紹介しました。ひとの出会いと温かい心情に、私も涙を流しましたが、あらためて再録致します。

 橋本さんは、経理事務の仕事を始めて、やがて三十年になろうとしています。それは、二十一年前の昭和四十五年五月二十一日。
 五月とはいえ、その日は特に汗ばむように暑い日でした。橋本さんの事務所に、顧客の知り合い、という人が訪ねて来た。
 「こんな事を突然に、失礼とは思いましたが、橋本さんの血液型がAB型と聞いてうががいました、本当でしょうか・・・」
 「ええ、そうですよ、AB型は少ないですものね、何の御用でしょうか。」
 「実は、私の親戚が、AB型の血液を探していますので、輸血をお願い出来ないでしょうか。」
 「それは大変ですね、私ので良かったら、いつでもいいですよ。」と、橋本さんは快よく引き受けた。
 血液を欲しがっていたのは、大村市内の産科医院で未熟児を出産し、生育が思わしくなく、国立長崎中央病院へ、救急車で運ばれた女の赤ちゃんであった。血液の交換がなければ危ない、と診断され保育器の中で、かろうじて小さな生命をつないでいた。
 橋本さんは国立病院へ走り、血液検査もあわただしく、ベッドに身を横たえた。私にも六才の男児と一才の女児がおる。子供はみんな可愛いい、元気でなければならない、この赤ちゃんも助かって下さい、私の血液が役に立ってくれよ、と祈るような気持ちで、採血管を通る赤い血を見つめ続けた。
 当時三十二才の橋本さんは、供血が終るとすぐ帰宅した、帰れば仕事が待ち構えていて、日常生活に追われ、その後の赤ちゃんの消息も知らないまま、暮らしの中に入って行った。

 いつしか、二十年の歳月が流れ、橋本さん本人を初め、家族の誰もが、かつての輸血の事を完全に忘れていた平成三年一月十五日の午後である。橋本さんの家へ、一見して成人式帰りと判る、振りそで姿の立派な体格の娘さんと、その母親らしき婦人が訪ねて来た。
 「橋本ですが、どなたでしょうか・・・?」二人を見ても橋本さんには記憶がなかった。
 「私は、今津の西美智子と申しますが、実は二十年前、貴方から貴重な血液を頂いた娘の和美と、母親でございます、おかげ様で娘は大きくなり、今日成人式を迎える事が出来ました。これが娘でございます。」二人は深々と頭を下げた。
 橋本さんは、最初何かの間違いではないだろうか、と思ったが、混乱した記憶を巡らせると、あの時の事がよみがえって来た、そうだ、そんな事があった、あれから二十年経ったのだろうか、あの時、保育器の中で、かすかに息をしていた赤ちゃんがいた、生きていて、こんなに立派に成長したのだろうか。
 「あの時、AB型の知り合いはおらず、娘はもうダメかと思いましたが、本当にありがとうございました。」
 「私は知りませんでしたが、橋本さんのおかげで、こうして生きているのですね、ありがとうございました。」二人は交互に御礼の言葉を口にした。

 今度は、橋本さんの胸に大きな感動が押し寄せて来た、二十年前の御礼を言う人が目の前にいる、それも真心をこめて言っている、言葉に語ってしまい、
 「そうですか、そうですか」思わず目頭が熱くなり、二人の姿が、かすんでいった。
 「はたちの献血を、きょう私もしてまいりました、これからも誕生日ごとに献血を続けたいと思っています。橋本さんが身を持って教えて下さいました、橋本さんの心を、これからも大切にして行きます・・・。」娘さんの声が、遠いさざ波のように聞こえていた。
 世知辛い世の中にあって、西さん親娘の心は何と温かいものだろう、自分のした事は、大人として当然の行いであるが、それをいつ迄も忘れず感謝してくれる人がいる、こんなに嬉しいことはない、やって良かった、西さんに出会った事を感謝しよう・・・、橋本さんは、その晩心が疼いて眠れなかった。

 あれは暑い日だった。あの時の輸血量はどれ位だっただろうか、だいぶ時間がかかったようだった。確か長男が六才で、長女はやっと一才の誕生を過ぎたばかりで、私はベットの上で子供の事を考えていた、三番目の子供は、あの後に生まれている、それにしても、みんな大きくなってしまった。あの赤ちゃんも立派な娘さんに育っていったのだ、二十年経ったのか−。
 見ず知らずの人に、気軽く自分の血を与えた橋本さんが、立派な社会人であれば、二十年を経ても、その親切をしっかり忘れずにいた、西さん親娘の心も美しい。
 大村の目だたない町の片すみに、こんな人達がいる、何と素晴らしい事だろう、目の前が明るく、柔らかいそよ風に包まれた事は、忘れられない真実である。


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