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世間では利用されたというて、人を恨んだり、憎んだり、また、悲観したりする人を見かけるが、果たして利用されるということは残念なことであろうか?損をすることであろうか?
いや、決してそうではない、むしろ、なんにも人に利用されぬ人があったら、それこそ、この世に存在価値のない人であって、情けなく思わねばならぬ。
使い良い万年筆ほど、いつまでも使われる。使いにくいものは捨てられる。すりへるまで使われ愛用されて、おのが役目を全うしていくのと、見捨てられたまま朽ち果てていくのと、どちらがいいのだろう。他人に頼られ、社会的用務が多くて、身体が二つあっても足りぬくらい飛び回っている人こそ、生甲斐を感じて通っているであろう。
頼み甲斐のある人、心の低い素直な人、相手の身になってやる人ほど、自然のうちにそうなってゆく。自我を押し通す人や、小理屈の多い人は、たとえ知恵や力があったとて、敬遠されて声もかけられない、人も寄りつかない。
人は社会奉仕の道におのれの命を刻んで行くものだ、いかなる勤めも、社会が必要とするものでなければ存続しない。働くということは、社会に向かって奉仕する報恩の窓口である、生活のためのみ働く、利益追求のみのため働くという考えは、労働の意義を忘れたものである。
すべて人間は、対人的、社会的に生きるものであるから、おのれの価値をおのれで決めるわけにはゆかぬ。自分が偉いとうぬぼれていても、周囲が認めてくれなければどうにもならぬ。
どれほど人に喜びを与えるか、満足を与えるか、感謝を与えるかによって、その評価が定まる。お蔭をもらう人でなく、お蔭を与える人になってこそ尊ばれる。
人を利用して悪用している人があったとて恨むこともない。やがてその人は行き詰まるであろう。盗人よりも盗まれる方が恵まれている、騙された者はまた立上がれても、騙した者は泥沼に落ちてゆくのだ。
人間の持てるほんとうの財産は金でもなければ物でもない。徳だけである。徳とは、社会のため、人のために利用してもらって、尽くす喜びをかみしめてきた道すがらから積み重ねてきたものをいう。
徳こそ、火に焼けず、水にも流されず、奪われもしない。おのれが自らが壊さぬ限り永久にわがものである。
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