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【 冷たい心を解かすもの 】
常岡 一郎

 怒り、恨み、呪い。
これは冷たい心の凍結である。
これでも、解かす光、情熱。
オリンピックの聖火だなぁと思った。


後、ビルマに行くとき、第三回目のフィリッピン立ち寄りとなった。
大統領や外の方々には親しく会った。ロドリゲス国会議長は無愛想なむずかしい人だよ、と、同行した参議院の人々に注意しておいた。
ところが驚いた。議長の態度がまるで変わっていた。にこにこして椅子をすすめる。コーヒーもすすめる。親しく話もしかける。
あまりの変り方に驚いて私はきいた。「この前お伺いしたときとあまりにも違いますが・・・どうかされましたか?」
「そのときは、私の日本嫌いなときです。」と笑い出して話した。
「戦争中に日本がフィリッピンを占領していたとき、私は日本憲兵から土の牢屋に入れられ、半殺しの目に逢いました。以来私は日本人に対して恨み骨髄に徹していた。ところが、日本の広島、長崎に原爆が落とされ、間も降伏した。原爆の跡には十年草木も生えないと聞き、天罰当然だ、と胸がスーッとさえした。戦後十年、よい機会を得て日本へ行った。草も生えないという広島の惨状を見に行った。広島には何と、新しい街が出来、街は生き生きと惨状の跡型もなく、草木は青々と繁っていた。
日本各地の産業を視て廻った。敗戦の痛ましさなど、何処にも見られない。勤勉に働く日本人の姿が至る処で見られた。すっかり日本人の働き、努力に驚いた。
「フィリッピンと日本は、一番近い。これからフィリッピンが立ち上がるためには、どうしても日本と近所の誼みで、親しく助け合わなければならぬと気付いた」
そう語りながら窓を開け、議長室前の公園を指した。
そこにはフィリッピンの男女がブラブラ遊んでいる姿が見えた。
議長は言った。
「今日は土曜でも日曜でもない、青年達があのようにブラブラしている様は日本では見られないでしょう。日本人はよく働きますね、頼母しいですね、もう過去の恨みなど言ってはおられません」

著者は、月刊誌“中心”を書かれて五十年余、六一七号を最後に、本年一月、90才で亡くなられた。著者を偲んで、その中心誌の中から載せて頂きました。
敗戦後の日本の姿、それはガレキの山、今どこかの国で地震があればソレッと救助物資の山、だが日本にはそれみよ、天罰と、何一つもない。
働いた、働いた週休なんて言葉もなかった、忘れたころ休日が来る。そして働いて今の繁栄の日本が来たら、働きすぎだ、サア遊べと音頭が響く、その働きすぎたのは誰か、それは今足腰に痛みが走っているお年寄りたちではなかろうか。(横田)
平成元年8月1日 第44号より

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