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(竹下哲先生の作より抜粋) 子どものほめかた、叱りかたはどうあればよいか、という議論が盛んです。あるいは、叱るよりほめた方がよい、という人もいれば、いや、ほめるだけではだめだ、もっと厳しく叱らなければ、という人もいます。まさに議論の花盛りです。
しかし私は、「ほめる」のではなくて「喜ぶ」のであり、「叱る」のではなく「悲しむ」ことが肝要だと思います。ほめたり叱ったりは、あくまで第三者の立場からの行為であることに対して、喜んだり悲しんだりは、子供と一体になっての行為だからです。つまり、同行教育だからです。
私自身の子供の時代を振り返ってみても、親から厳しく叱られた時よりも、わたしの、行為を悲しんで泣いていた母の姿が、決定的な影響を私に与えています。その姿が、いまだに私の心を深く貫いています。
このことについて、私は良寛和尚の一つの挿話思い出すのです。
自分の生家である出雲崎の橘屋の若主人、馬之助が遊泉にふけるを訓戒してくれ、という依頼を受けて出かけたものの、若い甥の顔を見るとどうしても言い出すことが出来ず、そのまま3日間が過ぎてしまいました。仕方がないのでそのまま帰ることにしました
ところが、帰り際に、良寛は何を思ったのか、馬之助は自分のわらじの紐を結んでくれるように頼んだのです。
前にしゃがんでおじのわらじの紐を結んでいた馬之助が、ふと首筋に冷たいものを感じて目を上げると、良寛の二つの目には涙がいっぱいたたえられていました。そのとき以来、ピタリと馬之助の素行が改まったということです。
私にも拙い経験があります。長崎近郊のある町で講演をしての帰り、ひとりの青年が自分の車で私を家まで送ってくれました。運転をしながら私にこう語りかけるのです。
---15年ほど前、先生が諫早高校の校長であったとき、私もその高校の生徒でした。ですから私は、先生の教え子です。
ところで、私は高校3年生のときに家出をしました。それも同級生の女の子を好きで仕方なくなったのです。でも、見事にふられました。絶望を感じて、その子の写真を胸に、有明フェリーの船上から有明海に飛び込んで死のうとしたのです。しかし、四、五日後に発見されて、学校に連れて行かれました。担任の先生から、「校長先生がずいぶん心配しておられたぞ。早く校長室に行ってお詫びして来い」と言われ、恐る恐る校長室に行きました。こっぴどく怒られるだろうと覚悟を決めていきました。そしたら校長先生は私の顔を見るなり、「おお、帰ってきたか。よかったなあ。ずいぶん待っとたぞ。」と言って机の引き出しを開けバナナを1本取り出し、「お前、お腹がすいてるだろう。このバナナ食えよ」。と言ってくださいました。
家出をしたこんな俺を待ってくださったのか、そして、帰ってきたのをこんなに喜んでくださるのか、と思うと、胸がいっぱいになって、涙があふれてきました。私が何とか1人前になれたのもあのときの校長先生のおかげです。------
聴いている私に胸にさわやかな喜びか広がっていきました。
よかったなあ、としみじみ思いました。
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