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【 四ッの目 】
堤 保敏

家庭をめぐる(昔と今)生まれるときは病院、死ぬときも病院、昔は、村には助産婦がいて、家でそれこそ大騒動で子供を生んだ。
結婚式もそうだ。もちろん死ぬ時も、冠婚葬祭の全てが「家」の中で行われた。親も兄弟も、それが村中が、喜びも悲しみも苦しみも
共有し合った。地縁、血縁のしがらみによるマイナスもあったが、そうした中で子供たちは社会と何か、人間関係とはどうあるべきか
、生命の尊さも教えられなくても学んだ。今日、共有財産がないことも、子供を生むことをためらわせる原因になっているだろう。
そして、少ない子供に、大きな期待をかける。
 極端な例だが、以前私の道場に、入門してきた、ある子どもは英語塾、ピアノ教室、絵画教室、スイミングスクール、それに剣道、
この五つをやってのけねばならなかった。小学校二年生で学校の他に五つの習いごと、子どもには地獄であろう。情緒不安定、どこがどんなふうかと
説明しにくいが、育っていなければならないところが育っていない。なんとなく無表情で、年相応の顔ではない。両親の目にいつも見つめられている
過保護、過干渉によるものだろう。「毎日楽しいか」私は聞いた「楽しくない」
 私はこの子の置かれている立場を聞いて、すぐ両親を呼んだ。
「お父さん、お母さん、この子剣道をやめさせてください」「なんですか」「私はこの子の荷物を一つ取ってやりたいのです。英語はペラペラ、
ピカソかベートーベンみたいな芸術家、その上、オリンピックの金メダリスト、お父さんとお母さんは、この子がこれらの条件を全て満たすように
育てようと望んでおられますが、桜の花に梅の香りをつけて、そして柿の葉をつけた、そんな植物がバイオテクノロジーで作れないかと考えておら
れているそうですが、世の中、欲を出したらきりがない。私は、桜は桜、柳は柳でいいと思います。こんなことを続けたら、取り返しのつかない
ことになりますよ」「お父さん、あなたは毎日毎日、四時間・五時間の残業に耐えられますか」
「お母さんは、あなたは親の意のままのロボットに育てようと思っているのですか。冗談じゃない。私は自分に出来ないことを子どもにやらせる
わけにはいきません。英語、ピアノ、絵、スイミングこの四つをきっぱりやめさせててくれれば、私はこの子に教えます。それがダメなら、明日から道場に
こさせないで下さい。」
 四つともやめるわけにはいけないから、道場から去っていくことになった。それでもその子は「ホットした」というような表情を私に向けてくれた。
 期待が大きく、監視の目が強いほど、子どもは気疲れしやすい。少子社会は、内向的で神経質の社会になると予想される。
 かつての日本では、少なくとも一家に三,四人の子どもはザラだった。子どもが三人以上になると、両親の目が、三方、四方に分散されるから
子どもは隙を見て、いたずらをしたり、適当な息抜きが出来た。少ない食べ物をめぐって、熾烈な生存競争もするが、分け合って食べることも
覚えた。たくましさとやさしさを学ぶことができたのである。
 だが、一家に二人に満たない今日の状況では、両親の四つの目は、一人に集中する。二十四時間逃場がない。さながら、視線の半獄である。
少ない子どもにたくさんのものを与え、お金を注いで、効率よく育てるばかりが教育ではない。兄弟姉妹いるこのことの意味をもっと考えるべきである。
 両親の四つの目の監視下で、子どもが自由という豊かさを失っている例は以外に多い。愛情も、期待も、干渉も保護も、過ぎれば毒になる。


【種どおり】

コスモスと菊がひしめき合うように生い育ち、それぞれ見事な花を咲かせている。
そこは小さい庭の一隅である。
 同じ土の中から、全く姿かたちの違ったものが現れている。
 ふしぎなことであるが、それは土のせいではなく、種子どおりに現れているのである。
 月に見えるのは、コスモスであり、菊である。
 その花であり、その葉である。
しかし、目に見えるものが、コスモスや菊の生命の全てではない。
 芽には見えない種が元であって、その種は土の中に消えてしまっている。
 現れ出たものはその種とおりである。
 人間の周辺に現れてくるものも、また種通りである。
(ある新聞から)

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