|
無財の七施という教えをお釈迦さまが説かれています。財物を損せずして大果報を獲ん。一に目施と名く、二に和顔悦色施、三に言辞施、四に身施、五に心施、六に床坐施、七には房舎施と名く。財物を損せずして人を喜ばせ大果報を獲る。と。
その中の眼施について、東井義雄先生がつぎのように書いておられます。
おなじ町内に、あまり時を隔てずに、二人のお嫁さんが来られました。一人のお嫁さんは、四年制の大学を卒業後、お華、お茶と、花嫁修業もされて嫁いでこられました。もう一人のお嫁さんは、短大を卒業するとすぐに銀行に勤めました。銀行勤務三年後貰われてきましたので、そろばんには自信がありますが、花嫁修業をする余裕がありませんでした。
誰が見ても、4年制の大学出のお嫁さんの方がいいお嫁さんのように思えるのですが、そのお姑さんは、嘆いてばかりおられます。
誰が見ても、比べ劣りのする短大でのお嫁さんのお姑さんは、「よい嫁が来てくれた」「よい嫁が来てくれた」と喜んでおいでになるのだそうです。短大出のお嫁さんは、不思議でなりません。自分で考えても、足りないばかりの自分を、なぜお姑さんはかわいがり、よろこんでくださるのだろうかと、考えました。答えは見つかりません。それで遂に意を決してお姑さんに尋ねてみました。その答えは、次のようであったといいます。
「私は、あなたを産んだ覚えもない。乳をあげたことも、オムツを替えてあげたこともない。『おかあさん』といってもらえる資格はひとつもない。そんな私を、あなたは『おかあさん』『おかあさん』と呼んで頼りにしてくださる。もったいなくて、うれしくて・・・」と、涙ながらに話されたといいます。
「事実が全てを決定する」ということばがあります。それが真実であるようにも思われます。しかし、この二人のお嫁さんがそれぞれ歩んで来られた事実からすると、4年制大学卒のお嫁さんのほうが、高く評価されるべきなのでしょうが、その二人のお嫁さんのお姑さんの、嫁さんに対する評価が違うのは、どういうことでしょうか。誰にでも見える事柄のほかに、それらよりも、もっと大切な部面、例えば、人柄だとか、人生態度の中に、何か、重要なものが、一方にはあり、一方には欠けていたのかもしれません。それとも、お姑さんの「目」の問題なのかもしれません。恐らく、そうでしょう。それとも、その両方かもしれません。4年制大学出のお嫁さんは「学歴もお姑さんより私の方が上だ、お華も、私のほうが上だ、お茶も上だ・・・・・・」という思い上がりが、お姑さんには、我慢のならないものに見えたのかもしれません。一方のお嫁さんには、自分の嫁としての未熟さの反省が、つつましさ、謙虚さの人生態度となり、それが、お姑さんの、謙虚な人柄を、よけいに謙虚にすることになったのかもしれません。そそて、美しい嫁、姑関係の「事実」をつくり上げることになったのかもしれません。
それにしても、人を見る「目」が、まわりを輝かせ、自分をしあわせに導く上に、大きな役割を果たすことを、教えられる思いがいたします。
|