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【 たらちね(垂乳根) 】
加藤 泰朗

私は、ある日、ある婦人団体に招かれて講演に行った。題は「親子の断絶」。終わって座談会に入り、母乳を与えようという私の提言に、若い母親たちはいっせいに攻撃をかけてきた。
「そんなこといったって、いちいち母乳を与えていたら、仕事が出来ないワよ」
「夫婦共稼ぎなのよ、わざわざ子供を人にあずけて、生活と闘っているのよ」
「ミルクって科学的なんでしょう。現代の育児法というものがあるはずよ」
「公害で、母乳も汚染されているというじゃない」
「そりゃ、私だって、母乳がいいと思ってるわよ。でも仕方ないでしょ」
大体、私は男だし、それに産婦人科の医者ではないから、女の体については残念ながら、あまり知らない。だから「出ないもの仕方ないでしょ」と開き直られたら、「ああそうか」とだまらざるを得ない。しかし黙っていては、座談会にならないから、反論することにした。「戦争中、米の代わりに、じゃが芋や、さつま芋ばかりで、動物性蛋白質といえば、干した鰯か、にしんぐらいなものなのに、当時の母親は、ちゃんと母乳で育てたではないか」というと、「そんなの古くさい理屈よ」といい返される。
それならば、私も負けてはおれない。
「犬でも猫でも、何匹生んだって母乳が足りなくて困るということはないはずである」
すると「人と動物を一緒にするなんて失礼よ」と切り返される始末である。
母に聞いた話だが、母乳は出るものではなく出すもの、つまり出るはずのものだということらしいが、要するに、この母親たちは、最初から出す気がないのである。最初からヤル気のない子供にピアノを買って、さっぱりヤル気がなくて困るよ、と子供を責めるくせに、乳を出す気をないことを棚に上げて反論されても、一方的で話にならない。
その気にならないし、私のいうことを聞く気にもならないのなら、私も一方的に文句をいって、退散したほうがよいと思った。そもそも発言が気にくわない。
いちいち母乳を与えたら仕事が出来ないといった母親は忙しいどころか、ゴルフマニアの有閑婦人である。また、夫婦共稼ぎで生活と闘っている奥サマは、子供を姑にあずけっ放しで、この夏などはお二人でハワイにお遊び。ミルクが科学的だといった母親は、美人を鼻にかけてオシャレに没頭。そういえば、いま流行のマロニエ色のドレスを召して、カラスの足あとと、おしゃべりをガマンすれば、デパートの下手なファッション・コンサルタントよりちょっとましである。
どうせ女に好かれない私だから、最後にイタチ屁で一方的にまくし立てた。
子供を産んだが、育てるのが面倒だとか、乳首が痛いとか、乳房の形が崩れるとかいうのは母親として、怠けもの以外にない。それに授乳なんて動物的だワに至っては、授乳とセックスを一諸にするので、それこそ動物的だ。そんな人に限って、乳房を赤ちゃんに与えず、亭主にばかり与えているのだろう。
「頭のよくなるミルク」など飲ませないで、母親が、もっと「頭のよくなる話」を聞きなさいといって、そそくさと座談会から逃げてきた。
「親子の断絶」のテーマには、この話が効果があると思ったのだが、少しいい過ぎたかなと思った。かえって縁が切れてホッとしていたら、最近その婦人団体の推薦で、他の婦人サークルから講演依頼が来た。世の中とは、不思議なもである。毒舌の毒が回ったのではないかと心配している。

さてはなしを元に戻すと、八十三歳の母と、初老に入りつつある子供たちが、何となしに、その母親のそばで一夜を過ごしたのも、やはり生まれた時から、口で母の乳を吸い、手で母親の乳房をまさぐったものがあるからであろう。親から離れようと思っても、離れられない絆こそ、母の乳そのものといえる。
でんと座っている自身に溢れた母の姿は「おまえたちは、私から離れられますか」といわんばかりである。それは乳を飲ませた母親の誇りであり、母親だけが味わえる幸福だともいえる。
私が、どんなに威張っていても、母親の前では、ただの子供に過ぎない。乳房にすがりついた日があったと思うと母は、やはりどうにもならない母である。


これなら出来る!!
ある人が言いました。
「もう人から尊敬される人間にならないようにしました。これはとても大変むずかしいから、その代わり簡単ですぐ出来ることがあるからそれに変えた。それは、人間を尊敬することです」と


【たらちね(垂乳根)の意味】

かなに漢字のふりがなをつけた様で申し訳ありませんが、ちょっとむずかしい題だったので古語辞典を引いてみたら、次のように書いてありました。
「乳を垂らす母、(親)」

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