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【 五十年前のにぎりめし 】
常岡 一郎

熊本県水俣市南福寺八の五七、御所園小夜子さんからこのほど、
諌早市連合婦人会一浜口桃枝会長、三千八百十人)に「戦後、中国一旧満州)から引揚げる途中、乗っていた列車が諌早駅に停車した際、婦人たちによっておにぎりとカニの差入れを受けた温情が忘れられません。」と、お礼の百万円が届いた。御所園さんは水俣市生まれ。十三才のころ旧満州の竜江省で時計店を営んでいた父親のもとに母親とともに渡った。女学校から専門学校を経て、タイヒストをしていた。敗戦後の昭和二十一年十月、両親と二人の弟の五人で故郷に引き楊げるため、京都府舞鶴市から列車に乗った。途中、諌早駅で、白いエプロンに「国防婦人会」と書いたタスキ掛けの婦人たちがかけ寄って窓口から乗客たちにおにきりとカニを配った。御所園さん家族もこの温情を受けたことが、今度の寄附のきっかけ。御所園さんは、列車で水俣に行く途中だった。なぜ諌早に回ったかはっきりしないが、あとで聞いたら佐世保に収容所があったのでその収容者を下すため寄ったらしい。
 船と列車に何日も揺られ、飲まず食わずだった。「そんなとき全員におにぎり一個としかもゆでたカニ一匹をいただいた。米や野菜、着るものなど何にもない時代にしかも白分の生活さえできないときに食べものを頂き、そのご恩は金では買えないものです。早くお礼をしたかった。戦後五十年をきっかけに贈らせていただきました。Lという。お金は年金をこつこつためたという。浜口会長は御所園さんと直接電話で連絡を取り合ってこのことを知った。このことは、咋牛暮れ、新聞テレビで報道されて皆さんもご存じの方ばかりとおもいますが。引揚途中、永い旅の中、食事もろくに食べることが出来ず、しん身共につかれ果てたそのときに頂いたこの"にぎりめし"の味、わずかな配給米の中から持ち寄ってつくられたこの・にぎりめし。これはつらい涙を拭いて下さった暖かい国防婦人会のこころの昧であった。五十年経った今も、あのときのことを忘れることが出来ない。

                    -わが歯はない-
                      横田 肇

 六月四日は語呂合わせでムシ歯の予防日であり、四月十八日は、よい歯の日となっている。そして、八○、二〇と歯医者さんが言われて、八○才まで二〇本の歯を保つ様にすすめられている。私は八○、二四である。人が私の歯を見て、「それはわが歯ですか」とよく言われる。「いいえ、わが歯は一本もありませんLと答えると、けげんな顔をして、ジロリと見られるから「わが歯とは、歯者さんが作った歯を金で買うたのがわが歯、これは皆んな神様の作った歯です」、と一一一」口えば「ナルホド」と納得されるが、すぐ「どうすればそんな立派な歯になるのですか」ときかれる。「貧乏すればよいのです」と答えるから又コンガラがってくる。「私の家は貧乏だったから、菓子を買う金もなく、歯が生える前には昆布を細長く切ってあてがわれ、ヨダレはだらだらと流して、その内、歯が生え出すと今度は、乾し鰯の固い奴をあてがわれ、一日中ムシャムシャと口に入れていた。学校に行くまで歯をみがいたことがないので、先生からみがく様に一一一一口われると、歯みがきを買う金が無いので、汚れ手拭を指先に巻つけて、赤はんだ塩をつけて、ゴシゴシやったのです」考えてみると皆んなこれが歯を丈夫にしたのでしょうか、親達はこうすれば歯が丈夫になると一一一一口うような医学的なことは知らない、ただ永持ちさせて安けりゃよいのです。貧乏がもたらした歯の健康法であったかも知れぬが、これが本当かどうか、勝手なことを言うと歯医者さんから叱られるかもしれぬ。だが、この歯のお陰で何でも美味しい。有難いことです。貧乏に感謝している。


【相手を鏡として】

甲の奥さんは
「主人が勝手気ままで、このままでは私はもう辛棒できません。心のできない者がお話を聞き分けてぞ、家庭が治まるのでしょう、まず、主人にお話しを聞かせてやってください」と頼みにこられました。
乙の奥さんは
「主人がむづかしいので、それに合わせるために、私はどんなひづくりをしたらよろしいでしょうか。教えてください」といわれました。それから一二年の歳月がすぎました。甲の奥さんは、子共を連れて離婚、不遇な生活をしておられます。乙の奥さんは夫婦仲よく治まって、辛福な家庭をつくっておられます、

 人間は何を思おうと白由ですが、相手を鏡として白分を反省し、心を掘り下げてゆく道を忘れては、末には不運の道があるようです。

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