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【 愛があふれたとき 】
加藤 泰明

幼いころ、父親が死んだ。母は私と弟を伯母に預け、東京に行ってしまった。ある員、伯母にしかられ、急に母に逢いたくなり、弟を違れて夜汽箪に乗った。やっと母のアパートを探し、ドアを押したら、母の強いコトパがはね返ってきた。
「どうして、来たの。帰んなさい」母は男の人と暮らしていた。帰りの夜汽牽の中で、弟と泣いたことを、今でも亡心れていない。
 これば葬行少女Aの話である。もう二十年前のことである。
ポクは新闘紙に包まれ、駅の公衆トイレに捨てられた。だから父の顔も母の顔も知らない。今は憎むどころか、逢いたい、ポクも人並の親が欲しい。この少年Bも少女Aも、悲しみと寂しさに耐えきれず、やがて罪を犯した。そして、私と知りあった。そのころはそんた子供ぼかりだった。過日、少年院で講話したが、話の内容を変えねばならなくなった。少年院長の話によると、最近は愛に飢えた非行になるのは、ぎわめて稀であるという、創えているなら、まだ救いがある。愛を与えれぼいい。
今は、愛に飽ぎ、愛に溺れて葬行になる。幼児期の溺愛で、子はわがままのし放題。やがて少年期に入ると、急に親が口やかましくたり、言うことを闘かねば暴カをふるう。甘やかされた子は、親の突然の変心にとまどう。イライラの楮緒不安定の母、それに無関心な父親に絶望して家出、家を出れぼ、当然、不純交遊。あとはお決まりの弗行コースとなる。少年院では、今ほど矯正がむずかしいときはないという。愛に飢えていれぼ、愛を示喧ば感動もし、更生の転機にもなった。しかし、愛があふれ、愛に溺れた子に、愛を与えても全く無表情。感動など示すはずもないと、院長、嘆き顔だった。院長の話を聞きたがら、私ばポランティアの話を思い出した。「アフリカの難民の子供は、泣かない、動かない、笑わたい、無気力。これが甑えの極隈状態である。そうあれぼ、無表情、無感動の日本の子供は飢食の極限を言える。飢え遇ぎても育たない。愛し過ぎても
実らない。全く、愛するということは難かしいことですね、と言うと、院長、すかさず、
「愛することより信じることです」と言い切った。「少年の魂は、信じることによってのみ、光るものですし」とつけ加えたた。
 時代は、愛する時代より信じる時代に変わったと言える。少年院から帰りの車の中で、私はひとり述懐していた。幼児期に急に母を亡くしたわが子を私は溺愛してこなかったか。溺愛が非行の原困であれぽ、わが子は手おくれかも知れない、でも、今のと
ころ、その兆候もないようだ。
いま、いじめのことが盛んに語られている、この文とはかけはなれているが何かの参考になれば幸いです。


【きもちのよい話】
松本 和三

-痛院にて-
 私は、波佐見痛院に週三回人工透析に行きます。朝九時に治療室に入り、ベッドに横になります。十時すこし前になりますと、看護婦さんが検温に回りますが、いつもはなにげなく、見すごしていましたが、私の脈をとる時に、その若い見習いの看護婦さんが、自分のひざを折ってベッド上の私の冒線に合わせて脈をとります、そして私がすむと又、隣のおじいちゃんの所でも、重た次のベッドでも、その看護婦さんは同じことを繰り返していました。これは私達、患者には、とても親近感がわき、又信頼がわきます。この若い見習い看護婦さんに、だ一れか教えたのか、それとも家族の嬢か。この同じ病院で、初めて気づきました。この心づかいがとてもうれしく、あたたかい一日でした。

 -一個のキャベツ-
 親類からキャベツをたくさんもらったが家族では食べきれず、腐らせてはと思い、コ〕自由にお持ぢ下さいLと張り紙して、玄関前に置いた千葉県船橋市の橋本隆夫さん。間もなくチャイムが鳴り、近所に住むタイの女の予が、一「お母さんにあげるから下さい」とお礼を言うと持って帰った。次の日の朝、玄関の前がキレイに掃除されている。だれだろうか、と翌朝そっとのぞいて見ると玄関前のゴミを拾い集めているのは、あのタイの女の子、彼女は「キャベツのお礼よしと笑いながら、量っせと掃除していた。素直さと豊かな心を持つこの外国の少女から、キラッと輝くものを教えられた患いがした。たった一個のキャベツがもたらした{さな出合いを大切に、少女と毎目一緒に道路を掃除しています。

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