生れつき信仰心のないボサッとし ている私が、フトある本に眼をむけ たら、つぎのようなことが書いてあっ
た。
「無財の七施」と教えが書かれてあ る、お釈迦さまが、昔の人たちに説 かれた教えよりも、今の世の中の人々
に教えられたようである。 「佛説きたもうに、七種施あり、財 物を損せずして大果報を獲ん。
一には眼施と名く。二には 和顔悦色施と名く。三には 言辞施と名く。四には耳施 と名く。五には心施と名く。 六には床坐施と名く。七に は房全施と名く。日く之を 七施と名く。財物を損せずと難も大 果報を得るなりとある。
この七施は、有財の人も無財の人 も誰にでもできるし、又施しても元 がなくなるでもないばかりか、施し
た方も、施された方も、しあわせを いただくことになる。 その一つ、眼施についてつぎのこ
とが書いてありました。
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牛飼いさんの話
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私の地方は、昔から「但馬牛」の 産地として知られてきた地方です。 私の子どもの頃には、どの家も、
牛のいない家はないというほど牛が 飼われていました。牛が、農耕に使 われなくなり、機械化されてしまっ
た今日では、昔ほどには牛がいなく なりましたが、小さい牛を大きく育 てて売るというやり方をする牛飼い
さんは今もあります。
夏でした。通りがかりに、牛の世 話をされているおじさんに、 「暑いのに、ご苦労さまです」
と、声をかけました。 「はい、飼料は高いし、牛は安いし、 土曜日、日曜日もないどころか、盆
も正月もありまへん、ええことは、 なんにもありまへんL ということばが返ってきました。言
われることはすべて事実です。ご苦 労さまだと思いました。 それからしばらくしてからでした。
別の牛飼いさんに、 「暑いのに、ご苦労さまです」 と声をかけました。「牛飼い」の厳
しさを知らせてもらって間もなくの ことでしたから、私も、 ねぎらいの思いを込めて
挨拶したものでしたが、 返ってきたことばは、 「はい、おかげさんで、 きょうも牛どんに養うて
もろうとりますわい」と いうことばでした。 厳しい「牛飼い」の仕事であるこ
とを教えてもらっているだけに、し をうたれました。ここの牛たちは、 しあわせだなあと思いました、牛も
しあわせですが、この方白身、大き なしあわせを生きておられるんだな あと感心しました。
「財物を損せずとも難も大果報を得 るなり」と説かれている、そのとお りです。
ほかの宗教でも、不足不満を追え ば、不足不満がついてくる、よろこ びを追えば、よろこびがついてくる
と教えられている。
ものごとの「見方」を考え直せば、 よろこびばかり見えてくるようです。
「眼施」
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メシが うまいです。
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先日、三城町の旧タバコ専売公社 の横を通りかかると、婦人の方が、 フェンスの中に手を突き込み、空缶
を拾っていられる。
「ごくろうさまですね」 と声をかけると、
「腹がへって、メシがうまいですよ」 と、スラリとことばがかえってきた。 このことばは、何のかざりもなけれ
ば、力みもない。
私は、ときどきボランティアとか 何とかに行くことがある。 "こんな処に捨てんでもよいのに" とか"白分が缶拾いでもすれば捨て ないのに"とか、いろいろと文句を 言い、愚痴をダラダラこぼしながら のボランティア活動の格好だけであ る。
この婦人の姿を見て恥かしくなっ た。
宗教評論家のひろさちやさんが、 "いやいやながらするのは奴隷と同 じ"と書いていられたことを思い出 す。
ある宗教の教えに"ひのきしん。 一日之寄進)とある。これは、日々 一」うして健康なからだを貸し与えて
頂きありがとうございます。とのこ とから、世のため、人のために、今 日一日のこのからだを寄進させて使っ
て下さい。と、人のよろこぶ様にか らだを使うのですが、この婦人は全 くこの宗教の姿そのものの様だった。 |