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【 ほんものはつづく 】
東井 義雄
簡単なことでもいい、子どもたちに、ここまでつづけることができたという誇りを育ててやりたいと思います。
しかし、簡単なことでも、つづけることはずいぶんむずかしいことです。意志の力がよほどしっかりしていないとつづけません。よほど強く決心したつもりでも、ほんものの決心でないと、崩れてしまいます。そのかわり、つづけているうちにだんだん意志が強くなり、だんだんほんものになっていくということもあります。まさに「ほんものはつづく、つづけるとほんものになる」といえましょう。
さて、私は、Y小学校の責任をお預りした八年間、毎晩、寝る前に学校に出かけていって、校舎に異常はないか、見回りをつづけました。「学校無人化」ということで宿直が廃止され、警備員もおかれておらず、何よりも火事が心配だったからです。その見回りの度毎に、竹箒の部屋を電灯で照らしてみることしていたのですが、よく倒れて仕方のなかった竹籍が、きちんとなりはじめました。誰が整頓してくれているのかわかりません。整頓してくれる人を見つけようと思って放課後いつも注意を払ってみるωですが、どうもわかりません。
整頓が百三十日ほどつづいた翌朝、朝礼台の上に、私は大きな温度計を持って上がって申しました。「今、何度くらいだろうか」子どもたちの予想は、大体あたっていました。「みんなの予想は大体あたっている。今は寒いから、温度計の赤い棒が低いんだね。でもね。みんなの中に、この赤い棒が、温度計のてっぺんまで届くほど、心のあたたかい子がいるらしいんだ。ちょうど昨晩で百三十日くらいになるんだが、竹篇部屋のあのたくさんの竹籍が、いつもキチンと行儀よく並んでいる。あのたくさんの竹誇を、一本一本かわいがってくれている心のあたたかい子がみんなの中にいるらしいんだ。誰が竹簿をかわいがってくれているか手を挙げてくれないか?Lというのですが、挙手をする子が一人もいません。「おかしいな。誰かがやっていてくれるのにらがいないが…-」、と思いながら、「子どもが教室に入ってから調べてみて下さい」と担任の先生方にお願いしました。.すると、四年生のM君という男の子がやっているんだとわかりました。わたしが、いつかの朝会のとき、「ほんものとにせものは、見えないところのあり方で決まる。それだのに、にせものに限って、見えるところばかり気にし、飾り、ますますほんとうのにせものになっていく」というような話をしたのです。そのとき、四年生のM君が、「よし、誰にも見つからないように竹籍の整頓をしようLと心に決め、それを実行していたのでした。わたしが手を挙げなさいといったとき、手があがりそうになったそうですが、挙げてしまうと自分がやっていることが、みんなにわかってしまいます。それで、とうとう手を挙げなかった、ということもわかりました。
M君は、私が退職する日まで、計算してみると、この竹籍の整頓を五百四十幾日つづけました。N子ちゃんという女の子は、一年生が終る日、日記帳を十一冊見せにきてくれました。一年生人学の前日から日記を書きはじめ、ずっと続けてノートが十一冊にもなったのでした。私はその年、職を退いてしまいましたが、次の年、道でN子ゃんにあったとき、「日記はつづいているかP・」と尋ねてみました。「はい、つづいています。おばあちゃんになってもつづけるつもりです」とはればれした顔で答えてくれました。
〜明けの心暮れの心〜
先日、ある新聞につぎのことが書いてあった。それは、作家の阿刀田高さんが、国立国会図書館に勤めていられるとき、天理図書館を見にこられて、神殿で、ちょうど講話をされている場面に出くわされ、そのときの話を書いていられます。
それは「明けの心と、暮れの心」という話です。人間は誰しも暗い心は持ちたくないのであって、明るい心を持ちたいと思う。では、どうしたら持てるかというと、明けの心というのは誰かに何かしてあげよう、あげようと思っていると、あげの心、つまり明けの心になる。これの反対に、何かしてくれ、金をもっとくれというように、くれくれと思っていると暮れの心になるというんです。と、きかれて感動されたと書いてありました。
まったく、その通りとおもいました。ことばは、皆んなこんなことから出来ているとおもえば、大事に使わねばならないとおもいます。

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