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【 親の心は言葉を超え 】
横田 肇
重傷を負い、廃人同様になった工藤中尉は地獄の申にいた。その中尉に人間性を取りもどさせた母親の愛情だった。親心は岩のような心もとかすのである。
先日、ある講演会で感銘深いお話を聞きました。

私が昭和十八年、応召を受けて中国へ行った時、止官に工藤中尉という方がおられました。ある時、工藤中尉は将校斤候に行ったところ、地雷に当たって吹き飛ばされ、野戦病院に入院しました。目は見えない、歯はボロボロ、手は二本の指だけ、耳は聞こえない、両足はひざで切断。何とも言えない情けない姿になってしまいました。歯がないので、舌をかみ切って自殺することもできません。
絶望して、毎日のように病院の中で、大きな声でどなるし、人が来れぱ、はねのける、人に嫌われてどうしようもない有様でした。終戦間近かに日本の病院へ転院して、来ました。ある時、息子が帰って来たというので、母親と妹が面会に来ました。病室に入ると、身体中包帯の息子が、大きな声でわめいている。母親は、毎日無事で帰ってくれることを祈っていた息子だから「芳春」と一吝って抱きかかえました。しかし耳は聞こえない、目も見えないので、母親が会いに来てくれたことが分らない。何回抱きかかえてもはねのけてしまう。とうとう母親は泣き出してしまった。妹が「お兄さん、お兄さん」と呼んでも、全然通じません。側にいた病院長が見かねて、「また判かる日も来るだろうから、今日はひとまず引きあげたら-:・」と話すと、母親は「しばらく私と息子の二人だけにしてFさい」と』、一一口いました。
病院長らが病室から出て行って一人になると、母親はベットの上にあがり、胸をはたげて乳房を出し、大きな声でわめいている工藤中尉の口に乳房をもっていきました。すると、わめいていた中尉が泣き出し、二本の指で母親をしっかりと抱きしめて「お母さん、家に帰って来たんだなあ」と言って、その指で何度も何度も母親の煩をなぜていました。この話を聞いて、看護婦長は、「今まで数え切れない程の人の看護をしてきたが、お母さんのような看護はできなかった。本当にその人の心にとけこんで、病人と一つになるような看護はできなかった」と申しておりました。
母親は「また来るよ」と言って帰って行きました。
翌日になったら、今までわめき散らして人をはねのけていた工藤中尉が「看護婦さん、すまんかったね、今まで迷惑ばかりかけて、本当に申し訳なかった」とあやまりました。そして「僕もおふくろの牛きている問は、何とかして牢きておりたいそれがせめて僕にできる親孝行だ。何とかしてたすけてほしいLと見えない目から涙を流して頼むようになりましたその後工藤中尉は短歌をつくるようになりました。,
見えざれば母上の顔なぜてみる煩やわらかに笑みていますこうして母親の慈愛によって工藤中尉は、地獄の中から人間性を取りもどすことができたのです。今さらのごとく、母親の力の違大さを思います。これは、藤井明男さんという方がある新聞に、親と子のふれあいについてのせておられたものです。ついこの間までは、母親は、子ど
もはふところに入れて、からだでぬくめて、乳房をふくませていた、生れて一番初め覚えるのは、お母さんの顔、そして乳のににほいである。
この頃はどうだろう。「チョット出胎けるからミルクをやっといて」と言って、耳にはバスの吊皮の様なものをブラ下げて出て行く。後には、飼育係のおばあちゃんが柵の中に入れてある子に、牛の乳をやって太らせている。母親の乳はダレにやるのだろう。PTAでは「親子のふれあい」なんて大きな口で論じているが。こんな子が後になって金属バット事件を起こしても当然であろう
〜この子らに光を〜
これが従来、障害児の福祉についての、杜会人の呼びかけであった。ところが最近、精神薄弱児を教育.する人々の間に、「この子が光」という呼ぴかけがなされている。知能こそ低けれ、ずるさの微塵もなく彼らこそ世の光だというのである。
京都のある呉服屋で精神薄弱者をやとったところ、彼は商品にキズがあれば、気付かずに買おうとする客に注意してやるというのである。主人はバカ正直だと、にがにがしくおもっていた。ところが、あの店員がいる限り、あの店は絶対安心だと評判になって店の売り上げが増したという。
まさに「に」が「が」に転じているのである。われらは動きゆく杜会をよく見つめ正しい方向を誤ってはならない。
(今丼秀雄「海なき灯台もり」)

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