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【 お母さん お茶がわいています 】
横田 肇
古賀島のあるお母さんから、分厚い一通の手紙が届いた。キレイな文字で、便菱七枚それは、今まで苦労したこと、苦しかったこと、が昨日のように思い出され、愚痴になっても子供達に言いきかせると、そんな古い話と、プイと横を向く、でも又口から出てしまう女の翁さ、しかし、子供三人育てたよろこび、母としての幸せが溢れるばかり書き綴られてあり、これが自分のまいた、〃たね"がその通り芽を出したのだと、今更ながら驚いておられる。

父の養鶏だけでは生活は苦しくの私、現金収人を得るために、小学生の頃から、学校から帰ると海にワカメ採りに行き、翌□は朝四時すぎには、それを母と一緒にバラに人れ、にない棒でにない約八キロの道程を歩いて街に行き行商するのである。乳飲児の弟は私が背にして、教科書はワカメと一緒にバラにいれて、蛎柱の沽一をサクサクと母と子が踏んだ足跡だけが残り、手はアカギレで血走り、白い息をふきかけては重い弟を背にあげなおして街へ急ぐのであった。
テレビドラマに出てくる「おしん」のようにまるまる肥えて可愛らしいのではなく、やせた体には弟をおんぶするのは重たかった。街でワカメを売ってしまって、そこからバスで小学校に行けば、わけを知らぬ友達は私をみてバス通いでいいなあと羨ましがっていた。ときには弟をおんぶして学校にいかなければならぬ口もあった。授業中に泣き舳せば廊下で泣き止むまであやして、又教室にはいるのであった、.そうした幼少の頃の厳しい生活が、三十年後の現在、生きていくための桃となっているように忠われてならない。その時のことを思い返せばまだまだ努力して生きていかねばと。ここまで育てることの出来たのも幼少の頃の苦労が実になっているとおもわれる。

主人は単身赴任で対馬へ行き親子四人の生活は又苦しく、私も就職してのある口、私が夜勤があり夜おそく帰宅してみれば飯台の上に紙切れがおいてある。お母さんお帰りなさい、さむかったでしょう、お湯を沸かしたので熱いお茶がわいています、ひえたかもしれませんが、飲んでください、ほんとうにおつかれさま、ぼくたちの、することはちゃんとしました、ゆっくりやすんで下きい。西中3年生の長男が書いたメッセージであります。このひとこと。何も青うことはありません。
柑であってよかった。「まいたるたねはみなはえる」との教えの通り、幼少の頃、母を喜ばせたあのたねが、今、花を咲かせています、私は幸せが一杯です。
〜蝶とウグイス〜
陽春の訪れとともに蝶が花に戯れ、それを見て人間も春を楽しく感じる。
ウグイスが美声を放って梅の梢を飛び回ると、人間も幸福感を覚える。
しかし、事実はそうではない。蝶々は他人の庭に無断浸入して、他人の作った草花の蜜を吸いにきたのである。人間的に言えぱ、人の面前もはばからず蜜を盗んでいるのである。
ウグイスは、相手ほしさに大声をはり上げて呼んでいるわけだ。此れを、事実のままに言ったなら、または、蝶が花の上に強欲の因縁を起こしている。ウグイスが梅の小枝に色情の因縁を起こしている。などと人間が考えるなれば、その人問ははなはだ
不幸である。
そのような見方、聞き方をするよう、やはり、蝶が花に戯れ、ウグイスが春の風情を添えると見るほうが幸せである。赤ん坊がお康藪の真ん巾でおしっこをこぼした時、母親は叱るだろうか、否、いそいそとして、掃除を始めるであろう。
この赤ん坊がようやく這えるようになり、けの膝のところに行き、物差しを取って母の手を叩いたらどうだろう.サ親は笑顔で、打たれたその手で坊やの頭をなでて喜
ぶだろう。
それが子供に対する、大空のような母親の心である。それをこの赤ん坊に対し、小便の仕方が悪い。親を打つ不幸者、以後謹むがよい。等と、とがめだてする母親は、世界に一人もあるまい。そこに子どもは育ってゆく。
小便を遠慮なくかけられ、物差しで頭を叩かれ、叩いてくれる子どもの成長ぶりを見て限りなく喜ぶ。そういう、相手の一切の行動を美しく眺め得る心こそ、無限大の大空の心であり、一切を伸ばす心である。(ある新聞から)

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