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【最後の贈られ物】
松尾 政春
三月、四月
 この月は、人生のほとんどを停年まで勤めあげ、忘れることの出来ない思い出を胸一杯にふくらませて去って行く人、いよいよ今日から社会人として、意義ある一生をつくるぞと初心をふくらませて、来る人、行く人、人生のシルクを織りなす月である。
 天理中学校の松原先生もその最後の日を今日迎えられた。
 第三十三回天理中学校卒業式の日、定年退職を控え、私が担任として最後の卒業生を送る日であった。
 式が終わって教室に戻り、ふと気が付くと、生徒の机の上のあちこちに小さな糸切り鋏が置いてある。何に使うのだろうと誘しく思いながら、お世話になった教室に最後の拝をさせて噴いて教室から出ようとしたら、学級委員のY君
から、「先生ちょっと待ってください」と、いわれ、「何か」と思って振り返ると、「ぼくたち先生に何も記念に貰って頂くものがありませんから、せめて、ぼくたちが三年間胸につけて来たこの名札を貫って下さい」と言う。
「どうも」
あとは声がつまって出てこない。「喜んで頂く」という言葉のかわりに、両手を揃えて前に出した。その手のひらに、男生徒が先に、胸につけていたプラスチックの名札の糸を、糸切り鋏やカッターで切り離しては、「先生ありがとう」「先生元気でな」「先生ガンバッテや」などと思い思いに一言ずつ声をかけては、載せていった。私はただ「うん」「うん」とうなづくだけで、生徒の体温がまだ残っているその名札を、一枚一枚積もらせていった。女生徒の番になって、最初の生徒が、「先生」とだけ言って、あとは声が出ず泣きじゃくり始めた。それまで我慢していた私も、いっぺんに両眼からたぎるものを溢れ出させた。そして最後の女生徒が載せ終わったとき、「これで、私の教員生活はキッパリ終った」と思った。その名札は、今も机の引き出しの中で、それぞれの面影を秘めて並びながら、私に様々の声をかけてくれる。
一奈良県童話連盟副会長一
悪の信仰

信仰してもすぐ助かるものじゃない。信じても拝んでも一向楽にらず、もうかりもせず、悩みも苦しみも、去るどころか、おしまいには神や仏がうらめしくなる。
それはまことの信仰ではないからで、われ善し根性の我欲ばかり拝んでもしあわせが、喜びが、与えられる道理がない。自分の信仰する宗教にすがる者だけが極楽におさまると思う者、自分の奉仕する信仰に縁ある者だけが天国に通ずると思う者、みな悪の信者ばかり、われ善しのおかげ信心はやめてくれ。
手を合せて拝むばかりが信仰じゃない。
心の手を合はすのじゃ、、ひとり勝手の祈りばかり捧げていると、祈り地獄に落ちるぞよ。そんな祈りが通ずる神なら見当のつく低級神か悪の霊我欲の祈りで神を騒してみても逆に金品を巻きあげられる神の子は自分のためには祈らない
マコトの神は祈らずとも世のため人のためにはたらく者のみ幸びを与えたもう
(石田観峰書から)

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