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【これも忘れてはならない】
松本 和之
若者の楽園、ハウステンポスのある針尾島、夕陽に映える島影は、じつにすばらしい絶景である。
だが、この島には、今の日本が平和であれぼある程、忘れてはならない悲しい歴史がある。高い三本の無線塔ば、島の眺めを一段とひきたてる。大正十一年に完成L、日本海軍が東洋一と誇り、太平洋戦争のときニイタカヤマノポレ一真珠湾に集結せよ)トラトラトラ一攻撃せよ一の電波を発信した華々しい過去がある。しかし、太平洋戦争末期には、無線の電波も変わり、無用化どころか、かえって敵機の道標になった。そしてこの島には敗戦後、百二十万人もの人達が、外地から引揚げて、祖国の土を第一歩に踏んだ浦頭港がある。ここからそれぞれの故郷へと帰っていった。引揚げも終わりに近い昭和二十四年一月、マニラの日本人収容所からの引揚船「ぽごだ丸」が遺骨三百七柱とナマの遺体四、五一五体を山積みして、ここに着いた。又、引揚げの途中で亡くなられた人二千余名、含計六千八百余柱。
 出身地も、遺族も縁老も判らないまま葬られ、現在のハウステンポス奥の釜墓地にさみしく眠っている。このような所は全国でも、ここがただ一ケ所だけという。
 当時の国の対応のまずさから、身元調べも進まず、遺族への通知も出来なかった。その引揚げを担当した援護■局は、その半年前の昭和二十三年六月、引揚げ業務を縮小しており、送還して来た遺骨や御遺体の身元の確認が困難だったとおもわれる。米軍からの、ローマ字で書かれた名簿があるが、ただの氏名だけである。フィリッビンとニューギニァ斤面へ戦争に行って、亡くなられたとしか判らない。又当時は兵隊が敵の捕虜にされるということは不名誉なこととされ、公式の調査や発表がなされなかったのではなかろうか、一そうしことで全員がはたして本名を名乗ったであろうか、ともおもわれる。
そうしたことで遺族がわかっているのが少ないこともあって、お参りの人も一部の方達に過ぎない。篤志家の人達の手で、小さな霊園として整備され祭られてはいるが、この場所こそ、国立墓地として国の手厚い管理のもとに、あの爆の広島や長崎の平和教育のように、もっと世の中に知らせて、戦争の悲惨さはここにもあることを伝えてほしいものである。
 霊園の後ぎりぎりまで米軍の住宅がせまり、前はハウステンポスと、周りの賑わいを見るとき、このなかの何人の人がここの存在を知っているだろうか。あの高くそびえる無線塔が、軍国主義の犠牲になった人達へ、昔の過ちを詫びる墓標に見えてくる。そして又、戦争の犠牲になった人々の御霊が、今の人達へ、平和の大切さを、あの塔から発信していられるのではなかろうか。

今の日本の平和と豊かさがあるのは、先人の御苦労と犠牲の上にあることを忘れてはならない。

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