知恵倶楽部 http://www.chie-club.com
読んで下さい

【ざんねん】
横田 肇
 七年程前、台湾に行ったときのこと。台湾に旅行すると必ず台北市の中正記念堂に案内される。凄い広場の中に建てられた堂の中に蒋介石の像がある。これを見て私はおもわず最敬礼をした。
 われわれ日本軍は中国大陸を踏みにじり、蒋介石退治だと豪語し、中国人を殺し、物資は略奪し、その被害たるや莫大なものである。そして日本の敗戦、無条件降伏となった。二言も口出しは出来ない。
 希望も言ってはならぬ。そのとき、米英ソ中で日本分割論が出た。北海道はソ連がとるという。一番被害の多かったのは中国である。中国の最高責任者は蒋介石である。その中国が反村した。それで日本は救われた。「日本の政体は日本人の意志にまかすべき」と蒋介石のことばである。
中国大陸には日本人が二百万人からいる。これら人々を早く帰さぬと日本は立ち上がることが出来ぬと、労役にも服させず、三十キロまでの荷物を持たせ、物資不足の日本の足しにとして帰した。他の国からの引揚者は体一つである。ソ連は、中国の領土である満州から日本の工業資材は皆んな持って行き、おまけに日本人は六十万からシベリヤに連れて行き、重労働につかせ飢と寒さで死んだもの六万人とも青われる。もし、このとき、日本が分割されていたなら、北海道はソビエト連邦に繰りこまれ一共和国となっていただろうと思っただけでも身ぶるいする。そして一番被害を被った中国は賠償をとれば日本は立ちなおることが出来ぬと言って放棄した。これには世界があきれた。おも「旧悪とを念わず、人に善をなす」と言う蒋介石の有名な声明文によって日本は救われた。
戦争を知らない若い人はこの歴史を知らないかもしれぬが、これを体験した年配のものが忘れっっあるのは"ざんねん〃である。その中正記念堂を案内してくれた人は、揚さんと言って、戦前から日本にいられたそうで、日本語は私達よりうまい。中正記念堂の入口で「ここダイチュウモンで解散して向うのダイコウモンに集合して下さいLとのことば、何のことかとおもったら、大忠門と大孝門のことある。日本にはもうなくなった忠と孝がここにある。
「揚さん、日本の敗戦のときもって行かれたからもう日本にはありませんよ」と言ったら揚さん不機嫌な顔をして、「何も日本から持って来ていませんよ」と答えられたので、「それは忠と孝です。もう日本にはありません。活字さえない様です。今、日本では、祝祭日に日の丸でも揚げようとすれば、近所を見て、おそるおそる、片身のせまい様に気をつかって揚げねばなりませんよ。君が代の歌を大きな声で歌えば、あれは右翼だと言われかねますLと言ったら揚さんしばらく黙っていいたが、ひとこと"ざんねん"です。
先日、小倉から阪九フェリーに乗った。船内は台湾の人達が日本観光に来て賑っていた。年配の方達ばかりだったのでこちらが話すと結構日本語が通じて、お蔭で楽しい旅が出来た。神戸に到着した。皆んな土産物を手に一杯持っていられる。老婦人が両手に持ってタラップを降りられるので持ちましょうと手を差し出すと遠慮してか断られる。「どうぞ遠慮せずに一と再び手を差し出せば、かたくなに断って荷物を離そうとされない。

ひねくれ者の私は思い出した。日本から海外に行けば、添乗員が、着いたら、生水は飲むな、泥棒に注意と、耳がいたい程言われる。さては、この台湾の観光客にも、向うの添乗員が、日本についたら荷物は決して人に渡すなといっているのだろうと思った。
まことに"ざんねん"です。

プライバシーポリシー | お問合せ | セキュリティポリシー | リンクについて
Copyright 2005. CHIE-CLUB. All Rights Reserved.