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【親が針なら 子供は糸だ】
横田 肇
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ある新聞に戴っていた記事です。
PTAの席で、お母さん方の参考になるなら幸いと思い、日頃の所信を申し上げた。子供の心情教育というものは家庭においてなされる。と私は確信している。その意味では、知識の教育は学校でなされることであるが、心情教育は家庭の責任と考えてよいと思う。つまり卒直に言うならば、両親の生活がそのまま子供の心情教育になるのである。もちろん私の言うところの両親の生活とは、両親の精神的生活を意味しているのであって、外形の生活よりその点を重視する。
座談の席でよく「あなたのお家では、特に子供の教育にっいてどうされていますか」と聞かれることがある。私はいつも、「子供にどうせい、こううせいと言う教育ではなく、私たちが常に白分自身の生活を正しているということでしょうと答えるのである。
その一例室言うとこうである。「ところで皆さんのお宅では、子供さんが朝、両親に、おはよう、夜はおやすみなさい、と申しますか」とたずねたら一軒もなかった。「なぜでしょう・・……・私の家では母は大分前に亡くなりましたが、その母親が在宅する限りは、私と家内がチャンと、おはようございます、おやすみなさい、と申しました。ただ今では母はおりません。家内が私に、おはようございます。おやすみなさいを申します。いかがでしょう。皆さん方はご主人に対して、おはようございます、おやすみなさい、を申しますか」すると、ハイを答えた奥さんは一人もなかった。ワハハ:・…と笑いだけであった。
そこで、「膜ということは、子供にそうさせるのではなく、自然にそうなることでなければいけません。それには親の生活が聞題です」ということになる。それならば、良い子供になってもらうためには何か、ということであるが、それは、両親が恩を知る人になる。
親不孝や恩知らずの両親の子供に非行青少年が多いものである。親不孝者や、親を捨てた者や、恩知らずの利己主義の人の子供には、良い子が亡くなって気がかりなのが残るような皮肉な運命が待っているようだ。私の経験ではそうなる。
こういう点をまず第一に心がけるべきである。恩知らずの木から出た枝は、やはり恩知らずという枝になるのは必定で、親が子供に泣かされることになるわけである。親孝行、報恩という木から生まれた枝は、やはり親孝行、報恩の子供ということになる。
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