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【住めば田舎】
常岡 一郎
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住めば都という言葉がある。住みなれる、住みなれたら田舎でも都のような気になる。こういう意昧の言葉と思っていた、、ところが、もっと深い意昧があるのではないだろうかと考えた。徳の高い人が住めばそこが都になる。そうだ。弘法大師が生まれただけで高野山に千牢の都ができている。
あの山奥にいまは特急電車がいく。しかし昔は山坂を歩くほかはない。紀州の山をぬって高野山まで進む。これは犬変なことである。深山の重なり合った高野山、淋しい奥山、それが犬師の死後千年、いまもなお訪れる人の絶えぬ都である。
伝教法師が比叡山にお住いになった。千年の後なほ訪れる人のあと絶えぬ都となる。この山を焼き払った織田信長は問もなく亡んだ二
しかし比叡山は訪れる人の絶えぬ都となった..大和の三島、草深い田舎、そこに中山みき一大理教祖が庁んでいられた、」そこがいまは大珊市を牛み出した.。宗教都市となった。大阪、京都から直通電車が通う壮麗な健物が立ち並んでいる一峰大な宗教の教視、宗阻のあとを訪れる生命の流れを感じる。
高徳の人が作むところが都になる、これに反する言葉は住めば田舎である。こんな言葉もなりたつのではあるまいか.どんな大郡会の中であっても淋しいくらしをする人がいる、、周囲はにぎやかなところであっても、不徳、不運の人が住めばその家は淋しい一人から嫌われたからである。人から嫌われる人。その人の住むところからひとり去りふたり去る。ついに人がよりつかなくなるさびしい冷たい境遇におちるユこんな人は、多くは人を責める心が強い.私がそれであった、頭はよかったといわれる。しかし心は冷たかった、冷たさは人を伸ばさな広い心、暖かい心、明るい心。これがよい運命への遣である。その反対が淋しい握りこぶしのような心の姿である、手を握りしめたような頑固な魂、狭い利己的な心、白己だけを守る偏狭な心、豊かさを失ったイライラした心である二人をつきさす心である、.これが人から嫌われる心、人に去られる冷たい心で
ある。=
住めば田舎を生む心だと思った。 |
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【一枚の写真】横田 肇
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メッタにあけぬアルバムを開いてみた、それは、臼黒写真の軍服姿の格好の良い、男らしい自分の姿である。若かりし日の正に脊春二十五中の写真である。今から五十七年前、大村四十六連隊に入隊したとき、全員が一人宛撮った、これは佛壇用である、留守家族に送っておいて、戦死したらこれを佛壇にかざるためである。
切角こうして写した写真が残念ながらタメにならなかった。タメになって佛壇にかざられている戦友が何十人いるか何百人いるか。あれから五十七年生きて来たことになる。残った方が永い。ときどき故障があって医者に行き修繕しながら使っている。まだ後四十年位はもてるだろう。ふり返れば、絶対,死の世界に行くべきところを、目に見えぬ糸で引っ張られて生きて来た。それは一度でなし、二度でなし、"ああふのよかった”では済まされぬこの糸である。
私は財も無ければ学も無かったので、鉄砲かついで行くばかりの人間であった。私の中隊長は、士官学校も出てそれなりの学もあり人望もあって中隊の指揮をする人である、その人望もあり、学もあり、財もある人が、戦地に来たら、第一発の弾丸は中隊長に当たって戦死、タメにもならん様な私には当たらなかった、、これを何と解釈するか、"ああふのよかった一では済むことで
はない一、こうしたご守護の申の生活、守られた、もったいないばかりである。そのご恩がえしはつくしてもつくしても足らないのではなかろうか、命ある限りつくさねばならない。一枚の写真は教えている。
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