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【こんどは私が】
横田 肇
 この世で、美しいものとは何だろうかと考えてみる。まぱゆいシャンデリア輝く宮殿、豪華な着物、、工芸品、絵画、そして正、美女・・・工芸品を除けぱ、どれも移ろいやすいものばかり。どうも真の丈しいものは、他の基準のうちにあゐようだ。形ではなく、形の底にあろもの。結果ではなく、そこへ至ろまでの過程。例えぱ、物を介在させない人間のつながりゃ、犠牲的な行為や、無償の準仕などには、抗(あらが)いがたいほどの栓.い力が嫡わっている。人の心をつき動かす』不思議な力だ。真に美なるものの力とでもいおうか。

アフリカの日
その"五しい力〃に出会った。滋賀呉大津巾馬場町国鉄膳所駅近くに、知忠おくれの人たちの共同作業所「瑞穂」事務局がある岳この「瑞穂」に関わる人々、尖はあの茗荷村を支えるメンバーでもある.鈴鹿山系の山堅、大萩地区(滋加μ峠愛火町H)に出来た"新しき付〃人萩茗荷付に入村した高城健城さん(37歳)ら十一人は元々この「瑞.撚」の.メンバーだった。へ-、茗荷村H「瑞秋」と.、一、dてもおかしくはない。人萩茗荷村に昨年四月、正式に入村した高域さんたちは、知忠おくれの人たちと共同什活を通じて、村.つくりに卯念。開村讐時荒地だった所も開懇され、ハク」サイ、ダイコン、カボチャ、ジャガイモ、シイタケ、薬草など、多彩な農作物がっくられている、ヤギ、ニワトリ、アヒル、ウサギ、犬など家蓄もとりどり、一日も早い自給臼足態勢の確一v.めざしてがんばっている。現花人萩はニメートルの・口銀に埋もれて冬ごもり。しかし大津の方では「瑞穂」に集う人々が人H作災に糀{していろ、昨年、蔓からは、茗荷村に関わる人々の、L」供をキな対象に「茗荷村了供休験入村」も尖施してきた。後継者の育成、教育というわけなのである。その教育プログラムの巾に昨年暮れから、アフリヵ飢餓難民救援募金が納み込まれた。これとは別に、「瑞穂」の作業所で働く知忠おくれの人たちは、「飢えた、ポ供がかわいそう」と、かなり舳から募金を姶めていた、、毎迦土雛〕などを「アフリカの日」と1一汁一菜の杣食に食事の貫を落とし、おやつをがまんし、その分を募金箱に入れてきた。父をいうと、知忠おくれの人たちにとっては、食べることが一番の楽しみ、そ、の、最人の楽しみをけずっての募金だったのである。

食事を減らしても
さて、、十供たちは昨年木に人萩茗荷村休験入村のあと、山をドり八口巾{街で募金活動。年が閉けて一月二十一口には、時ならぬ人}」が一、曲を銀肚界に粧う巾、閑鉄、右山駅前で、「瑞穂」作業所の知恵おくれの人たちと一締に再び街頭募金。、十供たちと知忠おくれの人たちは、飢えに苦しむアフリカの友をたすけようと、嗣く一っに結び合ったのだ。机食に耐え、伽顕で声をからし、班金活動を続けてきたある知忠おノ`、れの入は、こう一、」一口った。「ぽくたちは今まで募企されたり、援助されたりする側だった。だから、一回募金する側になってみたかった」彼は、知恵おくれというハンデを克服して吊人をたすける人間に成長していたのだ。

いたわり合う心を
子供たちは大自然に鯛まれた人萩茗荷村への体験入村で強いものと弱いものとがたすけあい可いたわり合って暮らすこの丈しさを知り、その喜びを遠いアフリカへ届けようとした。知恵おくれの人たちは、これまで数々の援功を受けてきたことへの思返しの意味も含めて、一又字どおり自分の身をけずってまごころを集めてくれた。
茗荷村にっながる人々の何ものをも求めないこの清らかな心こそこの世の光なのかも知れない。真の半火しさの此源は、やはり忠いやりといたわり合いの心にあった。


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