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【あなた、ごめんね】
加藤 泰朗
 原題は「ああそうか、わかった」としてあったが、読んで行くうち、箸者の奥さんが病にたおれ、臨終を見送れる姿が、あまりにも強く心を打たれたので、著者には無断で、「あなた、ごめんね」とした次第です。

 辞世とはこ0)世に別れを告げる時、その思いを詩歌に表したものと壬一ヲんる。模範的辞世は、吉田松陰の「身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちるとも」であろう。「風さそう花よりも、なほ我にまた、春の名残を如何にとやせん」は、いわゆる忠臣蔵の浅野長矩のものだが、これに応えて、大石良雄は、「あら楽し、思ひははるる身はすつる、浮肚の月にかかる弟云なし」と詠んだ。これらも、辞世の見本のようなものだ。
 辞世らしいのに在原業、乎がいい。「つひにゆく道とはかねて聞きしかど、昨日今日とは思わざりしを」。鳥のまさに死なんとするや、その声哀しで、辞世には本来、ウソがないものである。いずれにしても、死を目前にしての口葉だろうが、中には西行法師のように、数年前から用意したものもある。「願わくば、花のFにて春死なむ、その如月の望月のころ」願い通り、四年経って、二月、満月の夜、花の下で死んだのだから、正に予言辞世と言える。つくられた辞世より、死ぬ直前の、一、口葉。いわゆる「臨終のことば」は臨場感があって迫カ充分である。有名なのに、ゲーテの「もっと光を」。詩人のハイネの「書け、書け、紙・鉛筆」。谷崎潤一郎は「これから書く、小説を書くんだ」が最後のキ一口葉。水谷八重子は娘の良重さんに稽占に戻るようにと、「お願い、帰ってちょうだい」と」言って息が絶えたという。フランスの革命家マラiは、殺される直前、愛人の名を叫び、「助けてくれ、お前、助けてくれ」、、)色ooカ幸叩Lt夏目漱石は、「あd、苫しい、あ\若しい。いま死んじゃ困る」彼の人生観「則天去私」とは、だいぶ隔りがあるじゃないかと言う人もいるが、それが臨終のコトバのコトバたるゆえんである。面臼いのにこんなのがある。「あら、ごめんなさいわざと踏んだのじゃなくてよ」は、ルイ十六世のrL妃、マリー・アントワネット。断頭台でうっかり死刑執行人の足を踏み、あやまったコトバ。落語家の柳家金語楼け、「早くズボンを出せ、劇場へ行く。明臼はどういう予定か」。次に壮絶なコトバ。「あのバカ野郎が!」。伊藤博文、ハルピン駅で暗殺されたとき。「こんなことで、死んでたまるか」は、政治家、河野一郎の口惜しさがにじみ出て、壮絶そのもの。同じ政治家でも、アメリカの大統領ルーズベルトは、「どうぞ、光を消してドさい」。これはいとも満足げなコトバ。有名な、一、一口葉に「板垣死すとも自由は死なず」。しかし、これは辞世ではない。板垣四十六才のとき、岐軍で刺客に襲われたときのコトバ。九死に一生を得て、八十三才で死んだが、名セリフなので辞世的名と言えよう。「話せばわかる」。これも膏名。昭和七年、五、一五事件で拳銃で撃たれる直前の犬養首相のコトバ。「ああそうか、わかった」。これは、大平さんが亡なる数時問前、サミットの話をした女婿、森田氏に帝、口ったコトバ。最後の自筆は亡なる二日前6メモ用紙に書いた「病を得て更に知る、旧友の情、明けて常に思う長夜の愁」情感溢れて、心が痛くなる。私箏で恐縮だが、拙著「背広が汚れる」を贈ったとき、早速、秘書を通じて、伝言が返ってきた。その申の「王者か覇者か」がよかったとつけ加えた。たしか四年前、大平さん、幹事長時代だったと思う。今となっては、こ冥福を祈るのみ。さてモンテニューは「君は病気だから死ぬのではない、生きているから死ぬのだ」と言ったが、私もいずれ、その日がくる。死に臨んで言う言葉は、用意して言えるものではない。臼々の信心は、そこで決まる。私の最初の女房は、三十一歳で死んだ。貧しい布教のさなかであった。ちなみに、女房の最後のコトバは、ききとれないくらい、かすかな声だったが、「あなた、こめんね」であった。


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